並木少尉の最後の言葉は





終戦の4日前に出撃していった山西少尉


 死が迫る回天の中で、手帳に最後の言葉を書き残す並木少尉。
 母親へ、妹へ、父親へ、そして恋人へ・・・。
 これらの言葉は、本当に書き残されている遺筆から引用されているものです。
 家族に対しての言葉は上西徳英少尉が書き残した手紙。
 上西少尉は、福岡県出身。出撃時18歳。光基地の多聞隊員として昭和20年8月1日、伊366号潜水艦に搭乗し8月11日、沖縄海域で輸送船に突撃していきました。
 このとき伊号潜水艦に搭載されていた回天は5基。このうち山西少尉以下出撃できたのは3基。残り2基は発進不能のため潜水艦とともに基地に帰還しています。その日は既に終戦を迎えており、一緒に出撃していった5人の搭乗員にはまったく違った運命が待ち構えていたのでした。
 山西少尉のこの遺筆は回天記念館に展示されています。


台風で浮かび上がった和田中尉の回天7号艇
 恋人、美奈子へあてた言葉は和田稔中尉が残した手記。
 和田中尉は東京大学出身の第4期予備学生。学徒出陣で海軍を志願、後に光基地へ配属されています。
 昭和20年6月、伊362号潜水艦で出撃していきますが、敵艦隊を発見することができず帰還。その後の7月25日、光基地沖で訓練中に遭難、23歳でした。
 この艇はその時発見することができませんでしたが、翌々月の9月、周防灘から日本海に抜けた枕崎台風により山口県上関町の長島の入り江に流れ着いています。
 この和田中尉が当時小学5年生であった妹の若菜さんにあてた手記にはこのように書かれています。「若菜、私は今、私の青春のまひる前を私の国に捧げる」。
 この手記は「わだつみのこえ消えることなく」と題して出版社から発行されています。
 なお、回天記念館には和田中尉の遺影が掲げられています。